きっかけ
小学校の時に、同級生が習いだしたので、習うことにしました。
私の周りは、習字を習うのはメジャーでしたね。
同じ町内の書道教室へ
同級生が通っている塾へ通うことにしました。
当時は小学一年生でした。
初めての塾通いでした。
同じ町内なので、自転車で通いましたね。
(10分位かかったかな?)
まずは、道具を揃えます。
最低限、筆、墨(墨滴)、硯、紙、文鎮、下敷きがあれば、OKです。
あとは、余った墨滴を容器に戻すスポイトと、これらを入れる鞄ってとこでしょうか。
今では、セット販売してますね。
用紙は、塾で毎回2枚2円で購入。
いつも40円分=20枚購入購入してた気がします。
ちなみに、道具は、母が誰だかから貰ってきたおさがりでした。
硯も墨滴で固まってたり、墨もかけてたり、水入れも汚れてたり、鞄も擦り切れてたりでしたが、私は別に気にしてませんでした。
使えればいいんだし、どうせ、墨で汚れるんだからいいだろうと…。
流石に、筆は新しいのを買ってもらいましたがね。
1,000~3,000円程度でした。
私が一番好きだったというか、書きやすく感じていたのは、1,500円のヤギだか羊の毛の筆だったのですが、枝と毛がすぐに取れてしまう欠陥品だったので、直ぐにすかえなくなってしまいました。
書道教室で買ったものですが、取り扱いも中止に。
先生が、不良品を渡して済まなかったと、代わりに2,000円の筆をくれました。
お気に入りの筆が使えなくなるのはちょっと残念でしたが、「より高価な筆になったから良しとするか。」と思いながら使いました。
週一で通いました
土曜日の午後に通いましたね。
当時は土曜日は、半日の日です。
学校から帰ったら昼ご飯を食べて、塾へGo!
毎回大体一時間位の滞在です。
最初は、「こい」、「いけ」から
最初に出されたお題目は、「こい」、「いけ」でした。
筆の流れや払いや跳ねの基本なのでしょう。
でも、「いけ」を先に用意しないと、「こい」が泳げませんよね…。
(どうでもいいことですね。(笑))
これで、基本が出来たら、それぞれの学年のの課題に取り掛かります。
昇級用のお題目と、大会などに出品する2つになります。
大会といっても、地元の農業祭りとかですけどね。
金賞か銀賞とか入選したら、タテと景品を貰ってました。
景品は、当時は蛍光ペンとか、鉛筆とかでしたね。(笑)
私は最高が金賞でしたが、妹は結構な賞に入選し、どでかいトロフィーや、妹が書いた書を石?だかに掘って貰ってましたね。
そこそこなペースで昇級していきました。
回りの同級生も習っていたので、同じ様なペースで昇級していきました。
ただ、私の場合、周りが五段に上がっているときに、4段でくすぶっていました。
結構回りより、4段の時期が長かったですね。
でも、その後はジャンプアップします。
五段に上がったら、速攻で六段になりました。
五段の期間は、一ヵ月位だったと思います。
何でこんなにいきなり上がったのかわかりませんが、全然五段の期間がなくて驚いたのを覚えています。
小学校の習字の授業は楽でした。
習っていたこともあり、習ってない人よりは、そこそこ良くかけていたと思います。
夏休みの宿題のものも賞に入ってましたし。
(まぁ、半分以上が何かしらの章に引っかかってましたが。)
小学生を卒業すると同時に、終了
元々、小学生の時だけ習うと習い始めの時に決めていたので小学生を終わるとともに、書道教室を去りました。
親は、続けたかったら続けててもいいと言ってくれましたが、当の本人は基礎だけ学べればいいという考えだったので、やめました。
ちなみに妹は、高校の時まで通い、準特待生だかまで上り詰めてましたね。
高校の芸術の授業でも書道
芸術は、音楽を専攻したかったのすが、人気があり倍率が高く、書道経験もあるということで、書道に回されました。😢
まぁ、それなりに授業はつまらなくもなく、仲の良い友達も書道にまわされたので、一緒に授業を受けれて良かったですし、書道の先生とは仲良くなれたので結果オーライです。
ちなみに、実は、遠い親戚でした。(どういう血縁かちゃんとわかってません(笑))
なので、祖父が亡くなった時に火葬場に、先生の親が来てました。
社会人になってからは…
特に書く機会がなく、おかげで、全然書けなくなってます。
香典とかで活躍するときがあるのですが、基本妹の方が格段に上手いので、任せてしまいます。
ただ、急な場合は仕方なく自分で書きますが、ちょっと練習が必要です。
しかも、100均で買った筆ペンで書きますので、ちゃんと筆で半紙に書いたのは高校時代が最後ですね。
でも、社会人になってちょっと書き物したことがあります!?
牛久大仏の中で、写経体験ができたので、ちょっと書道しましたね。